進学塾nend

Nend Community News 2022-1月号 電子版

   

「今月の言葉」

ちょっと考えてみれば「むずかしい」は「やさしい」より確実に面白くて楽しいことがわかる。自転車は補助輪をつけて乗れればじゅうぶんだと考える少年がどこにいるだろう。

───渡邊十絲子

トピック「勉強は誰のもの」

子どものとき、授業で絵を描くことがあった。何か空想画を描くという。胸躍らせて下描きをして、先生に見せると「ここをこうしたほうがいい。それに、ここはもっとこんなふうにして」と色々修正され、色塗りにもアドバイスを受け、最終的にできあがった絵を見て先生は満足そうに言った。「ね、やっぱりこのほうがよかったでしょ。上手にできたよ」僕はもうその絵にまったく興味がなかった。

勉強というのは絵を描いたり、ピアノを弾いたり、ジョギングをしたりするのと同様に、パーソナルな行為だと私は考えます。これらの行為は個々人がそれぞれの尺度基準で練習したり、楽しんだりしているのです。ピアノが好きで、これを楽しんでいる人に「こうすればもっとうまくなるのに」とアドバイスするのは無粋というものではないでしょうか。
勉強もこれと同じで、たとえ勉強が苦手な子であってもその全員が、他人から勉強のしかたを教わったり、分かりやすい説明や覚え方を聞いたりすることを望んでいるわけではありません。その子はその子なりのペースで進んでいるのです。子どもの勉強に他人が口を出すということは、その子のパーソナルな領域を侵害してしまうということ、ひいては子どもから勉強を奪ってしまうことになります。そうすると、もうそれはその子の勉強ではなくなってしまいます。

年若い私の友人から、お付き合いしている女性が国家試験を受けるというので勉強を見てあげている、という話を聞きました。
友人は彼女のために、細かな勉強のスケジュールを立てて、覚えるべきポイントをまとめたノートを作り、勉強してわからないところがあればいつでも質問するようにと声をかけたそうです。資格試験は年1回なので、会えるときにはデートではなく勉強会にしたり、ビデオ通話で授業をしてあげたりするそうです。私はこれを聞いて(良くないな)と思いました。
案の定、友人の思惑とは異なり、彼女からの連絡は次第に少なくなり、勉強の進度も滞って、初年度の国家試験は失敗に終わったそうです。たとえ合格していたとしても、二人の関係はそれまでになってしまったのではないでしょうか。

友人はその反省をふまえ、今年度は口を出さずにじっと見守るようにしているそうです。

トピック「ねんちる」vol.167

子どものなみだといえば、まだ僕が駆け出しのころ、高校入試の模試でトップ校を志望するAちゃんが、解答欄が一つずつずれてヒドい点数を取ったときに、その不注意を叱って泣かせたのが初めてのことだった。後にも先にも仕事を辞めようと思ったのはその時だけだ。
以前は厳しさこそが子どもの成績を上げるために必要だと考え違いをし、子どもを叱っては泣かせて、あとで自己嫌悪に陥ることが多かった。

Mちゃんはいつもクールで何事にも動じず、頭も良くて、でも上を目指そうとかやる気とかは全然ない子だった。何かのときに、一度だけ強くMちゃんを叱ったことがあった。Mちゃんは凛とした美しい表情でこちらをまっすぐに見つめたまま、ただ大粒のなみだだけがぽろりぽろりと頬を伝って落ちていった。あの光景は後悔とともに一生忘れないと思う。

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