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セブ島 ― 貧困と子どもたちの教育

      2020/10/08

セブの貧困

去る10月、フィリピンのセブ島に行ってきました。
私の古くからの友人が主に東南アジアでの会社設立や、現地への投資をコンサルティングする事業を行っているのですが、その仕事の過程でセブの貧困地区に住む子どもたちへの支援を行っているNGO団体「DAREDEMO HERO」と交流を持つようになったそうです。
彼自身、心を動かされ、このNGO団体への支援を事業の中に取り込んでいくことに決めたそうです。彼からぜひ、現地の子どもたちを見に来ないかと誘われたのです。
私も、世界の貧しい子どもたちの現状や、この子どもたちに対して、果たして教育がどのような意味を持つのかということに強く興味を持ったため、今回仕事の合間を縫って同行させていただきました。

セブ島といえば、皆さんはどういったイメージをお持ちでしょうか。海のきれいなリゾート地というのが一般的なイメージと思われます。英会話の留学もさかんで、日本からも毎年たくさんの高校生、大学生が訪れます。しかし、こういったイメージの裏で、フィリピンは大きな貧困問題をかかえています。

こちらの写真をご覧ください。

こちらはごみ処理施設ですが、2000年代初めに日本のODAによって作られたものだそうです。しかし稼働してすぐに壊れてしまい、ごみの処理ができなくなったそうです。それにもかかわらず、セブシティのごみがすべてここに集められ、うず高く積まれています。現在はごみの受け入れを停止していますが、いまだにごみの不法投棄が行われています。このごみ処理場の横には使えるごみを拾って、これを売ることで生計を立てている貧しいコミュニティがあります。

大量のごみの中から使える物を探すことは子どもたちの仕事です。非常に不衛生で、感染症の恐れもあります。ときには食べられるものを見つけて口にすることもあります。私たちはこちらのコミュニティで、衣服やパンなどを配るボランティアを行いました。

ところで、日本ではあまり衣服の支援は喜ばれないという話を聞いたことがありますか。

日本では災害が発生しても衣服に困るようなことはそうそうありません。しかし、不要な衣服を処分することができ、さらには良いことをしている気分になれるということで、災害があると全国から不要な衣服が大量に送られ、迷惑になっている場合があるそうです。支援は災害が落ち着いてから現金で。そういうこともあって、私は今回古着を持っていかなかったのですが、日本とは事情が大きく異なりました。

貧しいセブのコミュニティでは、清潔な衣類が必要とされています。日本から来た他の参加者が持参した衣類は、またたくまに多くの人の手に渡りました。特に毎年のように体が大きくなる、低年齢の子ども用の衣類が求められています。自分の認識の甘さを恥ずかしく思いました。

私たちが次に訪れたのはキャレータ墓地です。

こちらはセブの富裕層が集うビジネスパークに隣接し、東京ドーム5個分という世界で有数の敷地面積を誇るアヤラ(ショッピング)モールにも非常に近い場所です。このキャレータ墓地に暮らすコミュニティがあるというのです。

フィリピンはカトリックを信奉しており、遺体は棺に納められて墓地へと埋葬されます。

これらの墓地はメゾネットタイプ(集合住宅タイプ)のものです。駅のコインロッカーのようにそれぞれの墓碑の後ろに遺体が収納される、一番安価なタイプの墓地です。

裕福な人は、1つの独立した墓地を設けることができます。四方を囲む壁があり、入り口は外部の人間が入れないように柵と錠が施されています。雨風をしのぐのにうってつけであるため、ここに入り込んで生活をする人々がいるのです。

上の写真のように、本来はしっかりと四方が壁、または鉄柵で囲まれ、入り口には錠がされているため入ることができなくなっています。しかし、下の写真ではどうでしょう。中に洗濯物らしきものがつるされています。奥のお墓は外から内部が見えないよう、布で目張りがされいるようです。生活のあとがうかがえます。

こちらは保育園、あるいは学校でしょうか。

上の写真で小さい子が立っているのはベッドと思いきや、墓碑がついています。つまり棺の上で生活をしているのです。奥にはテレビも見えます。この墓地には多くの人が暮らしています。そしてこのコミュニティに隣接して富裕層の住まう区域と、ITパークと呼ばれる多くの外国企業が入る高層ビルがあるのです。美しいリゾート地の顔を持つセブには、裏にこのような現実があります。

私たちはここでもパンや衣類、生活雑貨などを配りました。写真に私が写っていないのは、私自身、このボランティアについて戸惑っていたからです。子どもたちにパンを手渡してみてとも促されたのですが、私はこれも断りました。というのは、何の覚悟もなくセブに来て、NGO団体さんが覚悟を持って行っていることを、例えは悪いですが、動物園のえさやり体験のようにやってみて、その後で自分がまるで良いことをしたかのように記念撮影をするというのは、どうしても自分の良心や信念と相容れなかったからです。

ボランティアの精神

今回訪れたNGO団体、「DAREDEMO HERO」の現地代表を務める内山順子さんは、ボランティアの精神について、次のように述べられています。

〈私は現在までさまざまな国でボランティア活動をしてきました。しかし、現地の人々は貧しくとも幸せに暮らしているのではないだろうか。私が余計なことをして、彼らの幸せをじゃましているのではないだろうかという迷いがありました。2011年に東日本大震災があったときも、ボランティアに行きました。被災された方々はみな悲しみを抱えていて、その悲しみに共感を求めます。そして自粛が求められます。それは国全体に深い悲しみを広げたように感じます。私はボランティアをしながら、自分は自己満足でこれをしているだけではないかと悩むようになりました。

2013年に、台風30号(フィリピン名・ヨランダ)が、フィリピンのレイテ島に壊滅的な高潮被害をもたらしました。私はそこにボランティアに行くために、途中セブ島に立ち寄りました。セブ島はレイテ島ほどではありませんでしたが、大きな被害があったようです。11月でしたが、カトリックを信じるフィリピンでは、クリスマスに盛り上がっていました。空港に降り立った私を、現地の人々は「ハッピークリスマス」と迎えてくれました。その様子に私は、セブはあまり被害がなかったのだとほっとしました。しかし、ひとりの陽気な男の人に話を聞くと、彼は家族を失ったばかりだと言います。彼は言いました。「僕が悲しい顔をしていると、それを見た周りの人をもっと悲しくさせてしまう。でも、笑顔でいれば、それを見た周りの人も笑顔になれる。だから僕は笑っていようと思うんだ」この言葉に、私ははっとしました。今まで私は多くの日本人と同様、ボランティアとは自己犠牲であり、辛くて当たり前のものだと思っていました。しかし、ボランティアとは、自分が笑顔になって、そのことで周りの人を笑顔にすることだと、気づいたのです。ボランティアはまず自分のためです。でもそれでとどまっていては単なる自己満足に過ぎません。そこからさらに自己実現、つまりボランティアを通して、なりたい自分、あるべき自分になろうとすることが大切なのです。

DAREDEMO HEROでは、貧しい子どもたちを支援しています。ここで支援とは何でしょうか。支援とは変化です。支援することで何の変化ももたらさないのならば、支援する意味はありませんし、支援が悪い変化をもたらすのであれば、支援するべきではありません。

道の途中で貧しい女の子が物乞いをしていて、日本人はかわいそうにと1000ペソ(=2000円)という高額な紙幣を渡すものもいます。この1000ペソというのは日本人にとってはたいしたことがない金額かもしれませんが、フィリピンでは大人が数日働くことでやっと得られる金額です。この女の子に与えた1000ペソはどうなるでしょう。おそらくは親が取り上げて、お酒やドラッグに消えてしまうでしょう。また、子どもを利用してこれほど簡単にお金が稼げるのなら、親は子どもを毎日街角に立たせようと思うでしょうし、そうなればますます子どもは教育を受ける機会をなくしてしまいます。これは支援のつもりで行ったことが、悪い変化をもたらした例です。

今、フィリピンではわずか数パーセントの富裕層が、90パーセント以上の貧困層の上に立つといういびつな構造になっています。私たちが行う支援というのは、パンを与える、衣服を与えるというのではありません。それでは将来的に何も変わらないからです。現状を打破し、子どもたちが幸せに暮らせるようにするには、貧しさを知る者の中から次の世代のリーダーを育てて、この国の現状を変えていかなければならないと思うのです。そのため、私たちは子どもたちに教育支援を行っています。

皆さんから頂いた寄付の全額は、子どもたちが学校に通うための学費、文房具、制服などの費用、学校での昼食代、そして将来大学に行くための学費としての積み立てに使っています。

(人件費などスタッフの給料などはここからは頂きません。皆さんの貴重な寄付はすべて子どもたちに使うべきだからです。DAREDEMO HEROでは語学留学やインターンの受け入れなどを行っており、人件費はここから得る仕組みになっております)

セブでは、小学校6年間、高校4年間、プレスクール2年間、大学4年間となっていますが、ほとんど多くのNGO団体では小学校から高校までしか支援しておらず、これでは十分とはいえません。DAREDEMO HEROでは子どもたちへの支援を大学まで行い、次世代のリーダーとして、子どもたち自身がこのセブの現状を変えられるように望んでいます。毎年たくさんの子どもたちの中から、私たちは面接をし、私たちが支援する子どもたちを選び出します。すべての子どもたちを支援することはできませんから、その子自身に夢があり、這い上がろうとする強い意思があり、子どもの教育に理解をしてくれる親であることが条件です。私たちが選んだ子は、学校に通う費用のすべてを与えられます。成績が著しく低い場合には、援助を打ち切ることもあります。そのため、子どもたちはとても一生懸命勉強します。学年で一位の子、学内で優秀な生徒として表彰される子が多くいます。学校から帰るとDAREDEMO HEROの本部に来て、日本からのインターンシップでボランティアに来ている学生たちと一緒に遅くまで勉強をします。家に帰ると勉強できる環境ではない子が多いからです。DAREDEMO HEROでは寄付を募っています。一口月額2000円から寄付ができ、どの子に対して支援を行うか、選ぶことができます。あなたが寄付して下されば、子どもたちはあなたに日々の勉強の様子や成績を知らせる手紙を書きます。ぜひ、ご支援をよろしくお願いします。〉

私たちにできること

スクールのお子さんたちには、私から今回のことを話しました(授業回数やその他の影響を考えてお話ししていない学年もございます)。どのように伝えたらよいか、正直迷いました。自分が感じた衝撃も、口に出そうとするととても陳腐で、味気ないものに変わってしまうからです。色々考えた挙句、できる限り私自身の感情を入れず、淡々と事実だけを伝えるよう心がけました。

また2020年の春に私はセブを訪れたいと思っています。その際には、子供用の衣服の支援をお願いするかもしれません。その際にはどうかよろしくお願いいたします。

また、今回少しでも記事に興味を持ってくださったら、DAREDEMO HEROのホームページhttps://daredemohero.com/ (外部サイト)をご訪問ください。語学留学と貧困層へのボランティア視察を兼ねた、1週間弱の短期留学なども行っています。小・中学生は保護者が同伴する必要がありますが、高校生は単独でも受け入れをしているとのことです。詳細をお聞きになりたい場合は、私nendのラインやメールでも構いません。間に入ってやりとりをさせていただきます。

最後に、マザー・テレサが存命のころ、若い黒柳徹子さん(日本ユニセフの親善大使として、世界各国でボランティアをされています)が、ボランティアについて悩んでいた頃、このようにアドバイスしたそうです。

「世界の貧しい国の人を救うことがボランティアではありません。あなたの隣にいる人を救うことがボランティアです」

私は、セブ島の子どもたちを救うことよりも、現在預かっているお子さんを大切に育てることを第一に考えています。記事をご覧のみなさまも、どうか周りの人に優しくしてあげてください。それが何よりのボランティアだと思います。

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