進学塾nend

Nend Community News 2021-2月号 電子版

      2021/02/09

「今月の言葉」

僕のものではないよ、だけど僕が見ている間は 僕のものなのかもね。

───スナフキン

トピック「負けないで」

小学二年生のとき、体育で水泳を教わった。記憶にある限り、それが初めての水泳の授業だったように思う。冷たい水しぶきに子どもたちの歓声がこだましたはずだ。
その日の放課後、僕とよそのクラスの生徒数人が再びプールに集められ25メートルを好きなように泳ぐよう言われた。お互い顔を見合わせたけど、理由は知らなかった。僕は習ったばかりのクロールでコースを泳いだ。水は冷たく重かった。半分をすぎたあたりで、僕は早く帰りたくなって泳ぐのをやめた。先生は残念そうな顔をして、もう帰っていいと言った。

伊集院光が自身のラジオ番組にかつて師匠であった立川談志を招いたときの話。

伊集院が談志に「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けました。その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に師匠がやった落語のクオリティーの差にどうしようもないほどの衝撃を受け、落語を辞めたんです」と語ったところ、黙って聴いていた談志が一言。「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」

あわてて「本当です!」と言い返す伊集院に談志いわく、
「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的に気づちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」

―――図星だった。もちろん『ショックを受けてやめた』ことは本当だし、嘘をついたり言い訳をしたつもりなどなかったが、自分でも今の今まで気がつかなかった本当のところはそんなところかもしれないと思った。

何かをあきらめるとき、人は自分をだまして納得させようとする。でも、本当の理由は自分がよく分かっている。
時々思う。あのとき泳ぎきっていたら、何が違っていただろうと。

 

トピック「ねんちる」vol.156

叱るのをやめよう。この二、三年ほど最近は特にそう思うようになってきた。

以前僕が働いていた大手の塾では、僕は上役から子どもたちをとにかく叱るようにと言われていた。僕は元来いい加減だし、へらへらしているし、ネアカ(根っこが明るい性格・死語)だと思うけれど、そのせいで「子どもたちが勉強しないのはあなたのせいでもある」「子どもたちが受験に失敗してもいいのか」と言われ続けた(今となっては子どもたちを盾に取ったずるい言い方だと分かる)。

子どもたちの勉強に対する姿勢について、厳しくあることはもちろん大切だけれど、叱ることを子どもたちのアプローチの中心にすえることは間違いだと思うようになってきた。

指導する立場としては、へらへらしていてバカにされるくらいがちょうどいい。今年の三年生の笑顔を見て思った。

 

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