Nend Community News 2020-9月号 電子版
「今月の言葉」
(愛とは何かについての質問)
愛は、ママがパパのためにコーヒーを入れてあげて、パパに渡す前にママが一口味見をすること。
───Danny 7歳
トピック「悲劇のヒロイン症候群」
ある晩人気のない峠道を自転車でのんきに走っていると、後ろから大型トラックにクラクションを鳴らされ、驚いてガードレールにぶつかり手をけがした。傷口を口で吸いながら「なんでこんな目に合わなあかんねん…」と涙をこぼしそうになったが、よくよく考えると、自分で自分のことをかわいそうに思っているだけだな、と気づいてやめた。誰かになぐさめてほしいだけの行動にすぎないし、泣いてみたところで何も変わらない。
スクールには自習スペースがあるのだが、よくお母さまから「うちの子は家でまったく勉強しないので、自習に行かせてもいいですか」と聞かれることがある。もちろん構いませんが、自主的に来るのでなければ、いくら強制しても意味はありませんよ、と伝えている。これまでも親から無理やり自習に行くように言われた子がしぶしぶスクールに来て、死んだ目をしてテキストを前に座っているのを見たことがある。彼らが成績を向上させたことは一度たりともない。
あるときYちゃんが親から強制されたのだろう、重い足取りでスクールに入ってきて、自習スペースの席に着くなりしくしく泣き出した。事情はわかっていたので「せっかく来たのだから、少しでも勉強したら」と声をかけたが、それでも机の上に涙をこぼすばかりだ。ああ、これは自分で自分のことをかわいそうに思っているだけだな。同情してほしいんだろうな。と思ったが、指摘はしなかった。気持ちは分からないでもない。
自分はなんてかわいそうなんだ、自分はみじめだ、自分は不幸だ、などと考えてよいことは何もない。そのように考えればとりあえず目の前の問題から逃げられるかもしれない。しかし、涙をこぼして悲劇のヒロインを気取ってもなんの問題解決にもならない。人生というのはいつだって、今自分ができることをやるしかない。泣くな。逃げるな。前に進め。
泣き止まないYちゃんに、しかしそのようなことを言っても理解はできないだろう。自己憐憫は意味がないからやめろ、だなんて正論を言えばいいというものでもない。Yちゃんはひとしきり泣いたあと、テキストをぺらぺらめくってそれから帰った。その後Yちゃんは塾をやめた。あのとき、Yちゃんに何を言ってあげるべきだっただろう。彼女が自分自身の夢に向かってがんばれることを願うばかりだ。
トピック「ねんちる」vol.151
子どもたちから投げかけられる質問には、はっとさせられるものが多い。
先日ある子から「これだけは人に負けない、負けたくないものってなに?」と訊かれた。少し考えて「何であれ、最初にあきらめる人にはなりたくないかな」と答えた。そうだ。自分は人より優れた特技はないけれど、簡単にあきらめたりはしないよなと思った。
また別の子から「お母さんと仲いい?」と訊かれた。ちょっと即答できず、「…うん。以前はすごく厳しかったけど、今はすごく優しいんだ」と答えた。
躊躇した理由は、自分にとって母は仲がいいというような間柄ではなく、どちらかというと敬愛する対象だからだ。厳格な家庭だったため、母親の前ではいまだに姿勢を崩せないし、大切に思っているが、それは仲がいいとは違うのかな。改めて考えさせられたことだ。