進学塾nend

ことば

   

ののはな   谷川俊太郎

はなののののはな はなのななあに
なずななのはな なもないのばな

 

私たちは、自分の考えを表す必要にせまられて言葉がつくられたと考えているが、実際はその反対ではないだろうか。
アニメやマンガで宇宙人や未開人が「ナミダ…」「トモダチ…」のように言葉から概念を学ぶのは、笑えるクリシェ(ありふれた表現)ではあるけれども、その典型を表している。

「木漏れ日」という日本語を表す英語はないという。
「悔しい」という日本語を正確に表す英語はないという。思ったことを正直に口にする欧米人らしいことだが、それは日本人が悔しいと感じる心の動きが、欧米人には(おそらくはめったに)生じないことを表している。
「肩こり」は日本人にとってメジャーな症状だが、海外ではそうではないという。しかし「肩こり」という日本語を覚えた途端、肩こりの症状を訴える外国人が出てくるというから面白い。

なお、夕立という美しい日本語は、ゲリラ豪雨という下品な単語に置き換わってしまった。

 

日本では昔 “I love you.” に相当することばがなかったそうだ。海外の小説を日本語に翻訳するのに、夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳し、二葉亭四迷は「死んでもいい」と訳したとされる。
今なお日本人は「愛している」とはなかなか口にしなけれど、外国人が日本人を評してこのように言ったという話もある。

“日本人は愛しているとはいいませんが、それは日本人に愛するという感情がないからではありません。愛しているの代わりに「ありがとう」といい、ありがとうのかわりに「すみません」というのです。”

 

生後2~3カ月の赤ん坊が、自分の手をじーっとみつめたり、手を握ったり開いたりすることを「ハンド・リガード」という。自分の手を認識し、それが自分のものであり、自分の意思で動かせることを理解しようとしているのだという。

幼い子どもが転んで泣きだしたときには、ついつい親はこう言ってしまう。

「痛くない、痛くない」

この場合、そうではなく

「痛かったね」

と言ってあげることで、子どもは自分の経験と「痛い」という言葉、それにともなう感情を結び付けることができる。
友だちと遊べなくていつものような元気がない子には、「さみしいんだね」「かなしいね」。甘いものを食べて明るい顔をしている子には、「おいしいね」「うれしいね」と声をかけてあげることで、ちょうどハンド・リガードのようにその言葉を自分の感情として認識することができる。

子どものうちに本を読むことが大切だというのは、その物語から登場人物の気持ちを感じ取ることで感受性を高めるからだ、と思われがちだがそうではない。語彙(ボキャブラリー)を増やすことで、さまざまな感情を増やすことができるということが何より大切なのだ。「せつなくなる」という言葉を覚えることで、「せつない」という感情を知ることができる。「いじらしい」という言葉を覚えることで「いじらしく」思えるのではないだろうか。

もちろん、家庭でたくさんの会話をしている場合には、語彙が豊かで利発的な子に育つだろうし、必ずしも本が必要というわけではないだろう。しかし本は私たちが教える機会のない、たくさんの語彙や表現を持っているのは間違いない。

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