Nend Community News 2019-4月号 電子版
2019/10/08
「今月の言葉」
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。
─── チェーホフ(ロシア・作家)
トピック「セルフ・ハンディキャッピングと当事者意識について」
子どもの頃、走るのが遅かった私は、運動会のたびに憂うつな思いをしたものでした。走る速さや運動神経は生まれ持ってのもので、変えることはできないものだと思っていました。そうではないと気づいたのは大人になって、自分で運動をするようになってからです。
スクールに通う子どもたちを見ていると、「私は・僕は、国語が・数学が苦手で、それは変えられないものだ」と思い込んでいるお子さんが多くいるようです。「苦手だから、どうせできない」「がんばっても無理だから」と、できない理由を盾にして、努力を放棄することをセルフ・ハンディキャッピングといいます。「全然勉強できていないからテスト無理かも」などと予防線を張り、実際に悪い点数だったときに「やっぱり、言ったとおり無理だった」というのもそうです。最初からできないことにしておけば、傷つかないで済むからです。
セルフ・ハンディキャッピングとは、がんばれば自分は変われる、変えられるという当事者意識が欠如していることが原因のようです。
授業の導入で、解き方を説明しているときにまったく聞いておらず、いざ問題演習のときに解けないというお子さんがいます。こういったお子さんは、「勉強とは自分ひとりで解けるようになること」という意識が欠けているようです。「自分には関係ない」と思っているのかも知れません。
仮に私が今、スクールでスキーの滑り方を説明したとしても子どもたちは聞かないでしょう。しかし、外に雪が積もり、スキーの板とストックが人数分揃っている状態で説明したとしたら、子どもたちは一生懸命に聞くでしょう。これから自分で滑らなければならないとわかっているからです。絵を描くやり方や工作のし方など、子どもが自分の好きなことなら一生懸命に聞くのは、自分ひとりでそれを行うつもりでいるからです。
勉強も同じで、「自分はできない」というセルフ・ハンディキャップを行わず、「自分ひとりで解けるようにしよう」という当事者意識を持って勉強すれば、必ずできるようになります。
また、逆に言えば、教える側としては「あなたならできる」という声がけと、「最終的にあなた一人でできるように」という意識を持たせることが大切だということです。
トピック「ねんちる」vol.134
人は自分の欠点を他人の中に見るとき、嫌な気持ちになるという。自分の欠点を見せつけられた気持ちになるからだ。
宿題を忘れたとき、ウソをついたり、ごまかしたりする子どもに、僕は嫌な気持ちになる。自分自身、そうやってウソをついたり、ごまかしたりしてきたからだ。自分の意見をはっきり言わない子、他人に優しくしない子を見ても、僕は嫌な気になる。まるで自分自身を見ている気になるからだ。
昨日、重松清さんの短編集「せんせい。」を読み、先生と呼ばれる人間もけっして完璧ではなく、たくさんの足りない部分を必死で補いながら生きているんだと改めて感じさせられた。
僕も、子どもたちを引っ張っていけるような立派な大人になるよう、日々努力をしている。正直で、自分の意見をはっきりと言える、優しい人間になれるように。