進学塾nend

Nend Community News 2019-5月号 電子版

      2019/10/08

「今月の言葉」

人は誰かが転落するのを見るのが大好きだ。でも転落した誰かが立ち直るのを見るのはもっと好きなはずだ。

─── デヴィッド・ボウイ

トピック「自分の機嫌をコントロールする」

子どもたちに指導するとき、最近は特に、叱ったり怒ったりするのはよくないことだと実感しています。

厳しくすることが大切なことだと考えていた時期もありました。ただひたすら甘やかして、子どもを虫歯でぼろぼろにするようにスポイルしてしまう(=だめにする)よりは、たとえ一時恨まれたとしても、本気で向かい合うことが大事だと思っていたのです。それ自体は間違いではありません。間違っていたのは伝え方です。

子どもにとって、叱られるということは私たち大人が考えている以上に不愉快で、居心地が悪く、反発心しか生まないもので、たとえ話し手の真意を100パーセント理解してもなお、納得はできないものです。
それでは、子どもたちが何をしたとしても叱らないで受け入れなければならないのか、というとそうではありません。叱るのではなく、子どもがすべきことをしっかりと教えるということが大切なのです。そして、ただ叱ることと、教えることの違いは、話し手の「不機嫌さ」にあると考えます。伝える側が決して不機嫌であってはならないのです。不機嫌ではなく伝えることが、子どもに伝わる教え方なのです。

世の中にはコンビニの店員や部下や交際相手、子どもなど、自分より立場が低いものを相手に不機嫌さを示すことで相手を支配しようとするものがいます。不機嫌さを出して許されるのは、赤ん坊やせいぜい幼児までです。大人であれば、自分の機嫌は自分でコントロールすべきなのです。

子どもは大人の不機嫌さに敏感です。不機嫌で子どもを叱っている場合、子どもは反発心しか感じません。子どもの気持ちに気づかないでなお叱り続けた場合、難しい反抗期を迎えることになるでしょう。私たちが絶えず機嫌が良かったり、悪かったりと揺らいでいれば、子どもは人の顔色をうかがうような、卑屈で不安定な子どもに育つかもしれません。

私たちが自分の機嫌について常にステディ(=安定した、落ち着いたの意味)であれば、子どもは安心してそばにいることができます。そうして自分自身がステディな状態であれば、子どもを叱りつけることなく、彼らがなすべきことをしっかりと教えてあげられるようになるのです。
叱る前に自分は不機嫌で怒っていないかどうか考えてみたいものです。

 

トピック「ねんちる」vol.135

先日、来年成人式を迎える二人のMちゃんが塾に遊びに来てくれた。今回はそのうちM花ちゃんの話。

M花ちゃんは一見やる気がなさそうで、周りに流されやすく、色々と不器用そうな子。でも本当は芯がしっかりしていて、粘り強く、情に厚い。中学生のときは勉強させることに一苦労したし、高校選びも大変だった。高校に入ってからも勉強させることに苦労したし、その後の進路選びも大変だった。

そんなふうに全然成長ないようなM花ちゃんだったけど、歯科衛生士の道を選んで今はがんばっている。成績表を持ってきてくれて、クラスで10番の成績だったとうれしそうに話してくれた。すごいねと感心したら、「今までは人に頼っていたけど、もう自分でやらなくちゃいけないって思ったから」とM花ちゃん。しっかりした言葉がうれしかったな。

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