進学塾nend

Nend Community News 2019-12月号 電子版

   

「今月の言葉」

子供のころの願いは「親には上機嫌でいて欲しい」だけだった気がする。皆、そうなのではないだろうか。

─── anonymous

トピック「上を向いて学ぼう」

私は以前、大手の塾で働いていました。その塾の経営者は腰の低い、滑舌のはっきりしない人で、たまに臨時で授業をすることがあったけれど、あまり聞かせるのが上手な人ではありませんでした。周りの人がみな「彼はすごい人だ」と言っているのを私は不思議に思っていました。彼から学ぶものは何もないとさえ思っていたのです。

しかし、あるとき私と周りの人々とでは、彼から何を学ぶかという視点が違うのではないかということに気づきました。私は彼のことを一人の講師としてみていました。私は講師としての頂上を目指していたからです。しかし、みんなは彼を「経営者」としてみていました。彼は経営者としては抜群に優れていたのです。

こういったことから、私は誰かと話すときには、たとえ風采が上がらなくても、どれほど年齢や業種が違っても、その人の価値を低く見積もらずに、つねに何かを学ばせてもらおうという姿勢を持つべきだと考えるようになりました。

子どもたちを指導していると、中には「自分はできる」と過信しすぎている子が見られます。こういった子は授業の中でも自分の知識を披露するだけの発言に終始し、間違いがあっても、「これは単なる凡ミスだ」とミスの原因を考えることなく、説明すら聞こうとしないということがあります。こういった子は学習の伸びが悪く、いまひとつ成績が振るわない傾向があります。
自分に自信を持つことはけっして悪いことではありませんが、自分にはまだまだ分からないことがあると謙虚さを持つこともまた大切なのです。

ソクラテスが「無知の知」ということを述べています。『自分は何も知らない。そのことを知っている。だから世の中の知識人たちよりも、自分のほうが、よりよく物事がわかっている』ということです。自分はもうわかっている、自分は十分だ、という姿勢では他人から学べるものも少ないのではないでしょうか。

面白いことに、人が何かを学ぶとき、一番楽しんで取り組めるのは、すでに自分が知っていることを学ぶときだそうです。知らないことがあまりに多いとやる気をそがれてしまうのですが、自分が知っていることがあることが、勉強に対する意欲を増すようです。
ともあれ、つねに学ぼうとする意識こそが大切ではないでしょうか。

 

トピック「ねんちる」vol.142

先日、授業の間に突然顔を見せたM君。何事かと思ったら、「ハワイに社員旅行に行ってきたので」とお土産を持ってきてくれた。彼がスクールを卒業したのはずいぶん前なのに、折々にこうやって顔を見せてくれるのはうれしいことだ。

M君は勉強の方はからきしで、授業中にうとうと眠っていることも多かった。一度、入試の授業中に〈船を漕いで〉いたので、頭に思いきりゲンコツを食らわせたところ、彼は悶絶し、僕は手がびっくりするくらい腫れて、チョークが持てなくなった。後に「M君の呪いだ」と言ってクラスで笑いあったことがあったっけ。できの良いお兄ちゃんと比べられて、いつも目立たなかったM君だけど、いつの間にか好青年になっていました。

新年を迎えるたび、欠かさずあいさつをくれるM君。君の人生に幸多かれ!

 

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