Let them talk
私が言った、「お母さんとお父さんの、どちらと一緒に住みたいのだ?」
少年は肩をすぼめた。
「ということは、わからない、という意味か、それとも、どうでもいい、ということなのか?」
「わからない」
「ということは、おれの質問に対する答えがわからない、ということなのか、それとも、どちらと暮らしたいかわからない、という意味なのか?」
少年は肩をすぼめた。「ラジオのスイッチを入れてもいい?」
「だめだ。今、おれたちは話をしてるんだ」
―――ロバート・B・パーカー「初秋」
自分の意見を表明するということはとても大切で、欧米ではこれについて幼いころから教育される。古くから稲作を行い、むら社会を築いてきた日本人は全体主義である、というのはありふれたものの見方ではあるが、日本ではみんなに合わせることや、空気を読むことを要求されることが多い。そのため、表だって自分の意見を表明することを苦手とする人も多いだろう。
人が一番恐れるのは、何を考えているかわからない人である。
いじめられる子供には、口数の少ないおとなしい子が狙われやすい。周りから見て、彼らが何を考えているのかわからないからである。わからないことが、周りを落ち着かない気分に、あるいは不快な気分にさせるのである。
大人だってそうである。職場であいさつをしない人間が疎んじられ、嫌われるのは、彼または彼女が何を考えているのかわからないためであり、「むら社会」の中では異質な存在だからである。
しかし、周りの気分を害することを恐れて、周りに同調ばかりするだけでは、人に好かれない。たとえ間違っていても、自分の意見をしっかりと言える人は、他人から好かれる。わかりやすいからだ。
どんな風にあなたがふるまったとしても、10人のうち2人はあなたに好感をもつだろうし、2人は決してあなたと相容れない。残る6人はあなたに無関心だ。
自分の意見を言って他人と衝突することは大事だし、たとえ要求を呑んでくれないとしても、自分の希望を伝えることは大切だ。
誰に好かれなくても、誰に認められなくても、あなたは意見を言った。そうでしょ?