進学塾nend

Nend Commnuity News 2016-2月号 電子版

   

「今月の言葉」

私は何も知らなかったから、できないとは思わなかった。
そして延々とひとりでやったおかげで、少しずつ助けてくれる人も現れたのです。

――平沢進(ミュージシャン)

トピック「自分で考える勉強」

私はこの仕事をはじめて20年になります。今までこの仕事を続けてこられたというだけで、控えめに言って私にはこの仕事が向いていたのでしょう。先日、高校合格を期にスクールを卒業した子が久しぶりに訪ねてきてくれて、こう言ってくれました。「今になって先生の教え方はすごくわかりやすかったって、あらためて思います」
それは逆にスクールにいる間は気づかなかったということです。
子どもたちは自分で考える経験がほとんどありません。宿題を子どもたちに出すと、およそしっかりと考えたとは言いがたい宿題を提出してきます。たいていがわかるところのみを答えて、間違えたところに赤ペンで答えを書いただけのものです。こちらとしてはできないところをじっくりと考え、教科書や参考書で調べるなどしてほしいのですが、子どもたちにそう伝えても、理解している様子ではありません。彼らにとってわからないところは教えてもらわないとわからないものであり、自分で考えるということがそもそも考えにないのです。
勉強でわからないことがあったとき、子どもたちは簡単に「わかりません」といいます。そこで「まずは自分でしっかりと考えてみたら」とうながすと、いったんは持ち帰ります(この時点で叱られたと感じ、もう質問することをあきらめる子も多くいます)。次に戻ってくると「考えたけれどわからなかった」といいます。しかし「どこまで考えたか教えてくれる?」というと無言になるのです。本当は考えていないのかもしれないし、考えたけれども自分の考えを説明するということに慣れていないため、それを口で説明できないのかもしれません。あるいは、間違った考えを披露すると叱られると思っているのかもしれません(日本では、考えの間違いを指摘されることが、人格の否定だと感じる人が多いのです)。いずれにしても無言の彼らを前にして、最終的には塾である以上教えてあげなければなりません。結局、自分で考えるということが身につかないままになるのです。
高校合格を期に塾をやめる子は多くいます。そして自分で勉強を始めて、これほどあっけなく勉強についていけなくなることに驚くのです。彼らは塾で教えてもらっていた社会の年号の語呂や、理科の効果的な覚え方がどれほど役に立つものだったか気づきます。小テストがあることで一定の計算力を担保されていたし、英単語を覚えることができたのでした。今まで渡されてもなおざりにしていた過去問がどれほど大事だったか、ここでようやく気づきます。
こういう状況になって、初めて自分の力で考えるのです。そして自分の力でどうしようもなくなったときに塾にやってきます。「先生ご無沙汰しています。今学校の勉強でわからないところがあるんですけど、質問してもいいですか」
このタイミングで教えてあげたときの彼らの表情の輝きといったらありません。自分があれほど考えてもわからなかったことが、魔法のようにあっけなく解決することに驚くようです。これが勉強の喜びというものです。「無知の知」といわれますが、自分がわかっていないことを知ること。自分がどこまでわかっておらず、どこまでならわかるかということを知ること。そのうえで教えを乞うことが大切なのです。

トピック「ねんちる」vol.96

小学校から通っていたK君は、中学に上がるタイミングで塾を辞めた。「自分で勉強させてみます」というのだ。とてもいい子だったので残念だった。子どもが辞めるときが、この仕事をしていて一番つらい瞬間だ。
それから一年くらいして、お母さんが塾にいらっしゃった。K君がぐれて学校で先生に反抗的な態度をとっていること、家でもたびたび暴れること。こんな風になってしまったけれど、もう一度塾に戻ることができるだろうか。お母さんが語られることを聞きながら、ふと以前にK君と話したたわいもない会話を思い出した。
「好きな女の子のタイプは?」何の話の流れかそういう話題になったとき、他の子がアイドルの名前や、性格の良さなどを挙げたとき、K君は明るい顔で言った。「お母さん!」
僕はK君のお母さんにそのことを話した。そしてそんなK君だから僕は喜んで彼を迎え入れますと。そうして再びK君と一緒に勉強を始めた。K君は変わらず素直な以前のままで、学校でも少しずつ落ち着きを取り戻していった。
あれから数年。偶然アルバイトをしているK君に会った。春から専門学校に通うらしい。背も伸び、ぐっと精悍になった彼は、立派な青年だった。

 

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