Nend Community News 2026-7月号 電子版
「今月の言葉」
上機嫌は人が着ることができる最上の衣裳である
───サッカレー(作家・イギリス)
トピック「怒ることをもう一度考えてみる」
あるとき、スクールの小学生の筆箱の中に、その子の作ったおみくじを見つけた。消しゴムの6面に運勢が書いてあり、ほほえましく見ていたのだが、そのうちの一つに
「きょうはおこられない」
というのがあって、なんとなくどきっとした。
子どもにとって、親や先生など大人から怒られるというのは、避けようのない天災のようなもので、もはやあきらめの境地に達している子すらいる。スクールに通っている子の中には、それこそ非の打ちどころのないような子もいるのだけど、話を聞くと、そういう子ですら親に怒られることは当たり前で仕方のないことだという。
「怒る」と「叱る」は別物で、怒るというのは自身の感情を相手にぶつけることで、叱るというのは相手に行動の改善をうながすこととされる。もちろん私たちは正しく叱っているつもりではあるけれど、子どものことを思えばこそ、そこに感情が入るのは当然のことだ。子どもに一回注意をして聞き届けられることは極めてまれで、「何回言ったらわかるの」と怒りたくなるのももっともだ(なお、統計的にはこの問いに対する答えは「およそ50回」とされる)。
行動心理学では、怒るというのはエスカレートしやすい。怒って子どもが「びくっ」となり、ただちに言うことを聞けば、以後そのように怒ることが効果的だと私たちは学習してしまう。
しかし、子どもも次第に慣れてきて、怒られても以前のように言うことを聞かなくなってくる。そのため、これまでより強く怒るようにする。すると子どもが再び言うことを聞くようになるが、長続きせず、すぐにまた言うことを聞かなくなる。言うことを聞かせるために、さらに強く怒るようになる。そのうち子どもにショックを与えるような強い言葉、暴言を選ぶようになり、さらには手が出るようになる。こうなると親も子も苦しい。親は感情がささくれて自己嫌悪に陥り、子どもは傷つき笑顔を失うため、温かい関係を取り戻すのが難しくなる。
だからこそ、私たちは子どもたちを「怒る」前に、自分が何に怒っているのか、子どもにどうしてほしいのかを立ち止まって考えなければならない。怒っていても頭は冷静でいて、自分を外側から見つめ、「これは本当に必要なのか」と自分に問わなければならない。それこそが本当の「叱る」につながるのではないだろうか。
「ねんちる」第221段
私たちの住む平塚では、毎年7月に七夕まつりが行われる。大阪から出てきて初めて祭りに参加したときは、その規模の大きさと盛り上がりにとても感動したものだ。
当時は1週間近くお祭りが行われ、地平の彼方まで屋台が連なり、美しく意匠をこらしたお飾りは祭りが終わると仙台の七夕まつりに貸してあげるのだとも聞かされた。職業倫理上、ひいきになるため、子どもたちにおごってはいけないと上司からは言われていたけど、子どもたちと時間を合わせて七夕に向かい、偶然出会ったふうを装って、かき氷をおごり、お化け屋敷に入り、亀釣りをして、たまごっちくじに大金を投じたものだ。
今では七夕まつりは規模がどんどん小さくなり、子どもたちも特に期待するようすがないのは寂しいものだ。平塚七夕まつりの改革のアイデアがたくさんあるのだが、誰か聞いてはくれないだろうか。
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