進学塾nend

memento mori

   

元モーニング娘の加護亜依さんが、以前「死ぬ前に、最後に何を食べますか?」という質問をされたらしい。彼女の答えは「水」。理由を聞かれると「味がついてたら、この世に未練が残るから」だという。彼女はこのときわずか14歳だった。

“自殺をしたら、友達が途端に増えるよ。 今までろくに向き合ってくれなかった人達が、一気に自分を親友扱いしてくるよ。 よく知らない人に「あの子は優しい子だったの」って知ったようなことを言われたり、 助けて、って何度も伝えたのに助けてくれなかった人に「そこまで追い詰められていたなんて」って間抜けなことを神妙な面持ちで言われたり、 たくさんの人達が「あのとき私があ~してあげていれば、こうしてあげられていれば」って自分を責め始めたり、 見てみぬふりしてきた人が「大好きだった」とか意味不明なこと言ったり、 あげく、こっちが言ってもいない言葉を「○○(彼女)がこう言ってくれている気がした」とか、 恩も義理もないのに「天国で見守っててね」と頼まれたり過信されたりするし、 何年か経ったら、知り合い程度だったはずの人が「昔、親友を救えなかったことがあってさ」とか、さも人生経験ありますよ、みたいな顔して語りだすでしょ。 考えただけでゾッとする。 死ぬより怖い。 そう思ったんだ”
酒井若菜ブログ「ネオン堂」2011-06-20
https://ameblo.jp/wakana-sakai/entry-10928811312.html

高校時代の友人、Nが亡くなった、との連絡をうけた。
離れた地にいても、即座に、たとえそれが訃報であっても受け取ることがきることは不思議なものだ。
Nと初めてあったのは、夕方の京阪電車の車内で、同じ高校に通っているヤツということと、非常におかしなヤツだということは聞いていた。短ランにスソを絞ったズボン、茶髪で背が低く、やせて白い肌にニキビのあとが目立っていた。眉毛が非常に薄いのは、栄養補給のためにむしっては食べている(?)ことが理由だと、本人が話していた。
当世風にいえば、「キモい」やつで、気取り屋でナルシスト、直情家で独善的、博愛主義を謳っていても軽薄で、どこか信用できないやつだった。だからあっという間に親しくなった。
初めてあったときから、こいつはすげぇヤツだと思った。オレの知らないことをたくさん知っていて、マッキントッシュ・クラッシク2でDTMをしていたし、小説を書いていたし、カワサキカラーのZXR400に乗っていた。マイケルジャクソンからビリージョエル、フィルコリンズからエイフェックス・ツインまで音楽の趣味は多岐におよんだ。Nから受けた影響ははかりしれない。
高2の夏に、Nからアコースティックギターをもらうと(いつものごとく、ヤツは「きょうちゃんにあげるよー。楽しいからはじめてみよー」と言った)、毎晩郡津から村野に広がる田んぼのあぜ道に二人で座り、気のすむまで弦をかきならしたあと、たばこを吸い(ヤツは吸わなかったが)、寝転がって星を数えた。
思えば当時はいつも、ヤツに嫉妬していた気がする。自分にはないものをたくさん持っていて、それでいていつも自由に生きているように見えた。
Nが就職をするときに、面接で「あなたが今、一番に考えていることはなんですか」と聞かれたそうな。ヤツはこう答えたらしい。
「今日の晩ごはんはハンバーグがいいなーということです」
このエピソードを聞いて、すごく腹が立ったことを覚えている。当時はそれを言葉にできず、なぜ自分が腹を立てているかも分からなかった。今ならわかる。誰もが必死になっている就職の面接という場で、自然体でハズしたコメントを言える、その生き方に嫉妬したんだということ。こういう風になりたいという気持ちと、自分は自分だという相反する気持ち。Nと一緒にいると常にこういう気持ちになった。ロバート・A・ハインラインも、スティーブン・キングも岡村靖幸も、ギブソンのレスポールも、ZXRも、マックもillustratorも、みんなヤツから教えてもらった。
大人になって大阪を離れ、見知らぬ土地でひとり働きはじめ、顔なじみの店、ささやかな趣味、ゆるくもあり暖かい人間関係を得て、自分はこれでいいと思えるようになると、Nのことはオールディーズを流すかわいらしいラジオのように思えたかもしれない。ここ数か月、ヤツは困惑し、混乱し、奮起しては挫折していたように思うが、オレは何もヤツに声をかけなかった。言葉というものは頼りなく、何の力にもならない気がしたからで、ただヤツが頼りにしてくれるなら力になるつもりではいた。そのつもりではいたのだ。
突然の訃報は、オレにはまだ受け止められなくて、ただ何かしらヤツのことを思ってあげたいとは思い、文字にした。
500km離れた土地にいて、空気は澄み、町の灯がともり、静寂が覆う夜に、こんなにもすばらしい世界を去った友は、オレの知らない次元でくったくのない笑みをうかべて飄々とくだらない博愛を唱えているのだろうか。
2016-04-23 友人Nの訃報を聞いて書いたFacebookの投稿

3年前に、うちでお預かりしている子が心臓の病にかかり、生きるか死ぬかという状況におちいったことがありました。そのときに、死について深く考えさせられました。死とは私たちの生活からその人が消えること。それはとても悲しい衝撃をもたらして毎日つらい思いをするのだけど、だんだんとその人がいない日常になれていって思い出す回数も減っていき、ほんの時折、何年かに一度、ふと思い出してなつかしい思いをするだけになります。そうやって誰かの大事な人が忘れられてしまうというのは本当に怖ろしいことだと僕は思うのです。当時はそういった思いがつのり、震えるような夜を何日も過ごしたことを覚えています。

その子は手術が無事に成功しましたが、以前のように元気に動くことは難しくなりました。それでも、生きているだけで尊いと、生きていることは尊いことだと思います。

HPの更新ファイルの中から、2022/10/27に書きかけのまま残されていたこの記事をアップします。

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