進学塾nend

Nend Community News 2025-2月号 電子版

   

「今月の短歌」

雨それは雲それは海それは川それはあの日の涙おかえり

───夏山栞

トピック「叱り方について考える」

 反語という表現があります。
 断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問文のかたちで述べるもので、「私がしないとでも思うの(=する)」のような表現をいいます。「疑問文のかたちをとりながら、答えを求めていないもの」と説明してもよいでしょう。

 子どもを叱るときに「どうしてちゃんと勉強しないの」「何回言えばわかるの」という叱り方をしてはいませんか。このような叱り方は疑問文でありながら答えを期待しているわけではありません。つまり反語です。多くの子どもにとってこの叱り方は分かりづらく、混乱させてしまいがちです。
 子どもたちは「どうしてちゃんと勉強しないの」と言われたら、頭の中で必死に答えを探します。
(勉強したくなかったから、勉強しようとしてもわからないから、ゲームしてたら時間が過ぎてしまってたから、などなど)
 しかし、どれを口にしても親は納得してくれません。それどころか、余計に怒り出します。それもそのはず、親が求めているのは子どもの反省した態度であって、質問に対する答えではないからです。何を言っても状況は好転しないため、子どもは混乱し、消極的になってしまいます。
 また、子どもの特性によってはこのような反語をそもそも理解できない子もいることも留意すべきです。(「やる気がないなら帰れ」と言われてすたすたと帰ってしまうお子さんがその例です)

 このような叱り方は自身の怒りに燃料をくべるようなもので、子どもが反省した様子を見せないとなると、ますますヒートアップしていきます。「何回言えばわかるの」に対する答えはないわけですから、子どもはただ黙っているという防御行動しかとれません。そうすると、親の心情的に子どもが反省していないように感じられて、叱り方がますます激しくなっていくのです。このように、心理学的に叱るという行動は繰り返すごとに次第にその激しさが増すことが知られています。

 日本語はハイコンテクストな言語といわれます。これは、日本語は言外に多くの意味を含む言語であるということです。私たちは「言わなくてもわかるだろう」とつい遠回しな表現をしてしまうことがあります。しかし、叱る必要がある場合には「すぐに勉強を始めなさい」のように直接的な伝え方をしたほうがよいでしょう。

「ねんちる」第204段

 勉強を頑張れる子というのは自分を大事にできる子だ。自分の将来を良いものにできるのは自分だけだからだ。
 自分を大事にできる子というのは自分に価値があると思えている子だ。
 自分に価値があると思えている子は自分が他人から大事にされていると感じている子だ。
 自分が他人から大事にされていると感じている子は、愛されている子だ。
 つまり、身も蓋もない言い方をすれば、愛されて大事にされている子は勉強に意欲を持つし、十分な愛情が得られていないと感じている子は勉強に興味をなくしてしまう。

 親が子どもを愛していなければ子どもを塾に通わせたりはしないから、塾に通っている子たちはみな愛されている子ばかりだ。だから塾に通えば成績が上がるというのは当然といえるだろう。
 nendに通う子どもたちはみな親の愛情を十分に受けている。その期待に応えなければ。

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