Nend Community News 2025-1月号 電子版
「今月の短歌」
問十二、夜空の蒼を微分せよ。街の明かりは無視してもよい
───川北天華
トピック「相手の側に立ってみること」
新年の慶びを謹んで申し上げます。
本年も子どもたちにとってよき指導を心掛けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
昨今、ネットでの炎上が問題になっています。他者に迷惑をかける行為や、自分さえよければというマナー違反、道義上許されない不貞など、ひとたびネットに取り上げられると、たちまち炎上してしまいます。
もちろん、これらのよくない行為が原因ではあるものの、世間から「叩いてよい」と認定されたら最後、社会的に失墜するまで叩かれ続ける風潮は、私たちの内面にある黒い感情をまざまざと見せつけられているようでぞっとしないものがあります。自分が正義の側に立っていると信じれば信じるほどに私たちは他人に残酷になり、容赦がなくなるものです。ですから、身近な人から話を聞くときには、正論で相手を説き伏せようとするのではなく、自分の意見を言いたい気持ちを抑えて相手の話に耳を傾けるようにしましょう。正義の側に立つのではなく、相手の側に立つことが大切だということです。
落語に「三方一両損」というお話があります。
———三両が入った財布を拾った金太郎は、持ち主の吉五郎を訪れてこれを返そうとしますが、吉五郎はもう俺の金ではねぇ、くれてやると受け取ろうとしません。金太郎もいわれのない金を受け取るわけにはいかないと、お互いに三両を押しつけ合いますがらちがあきません。そこで奉行所に持ち込み、どちらがお金を受け取るべきかを名奉行として名高い大岡越前に裁いてもらいます。
大岡越前は双方の話を聞いたあと、自分の懐から一両を取り出し、さきの三両に加えて四両にし、これを二両ずつ双方が受け取るように言います。
落とし主の吉五郎は三両のうち二両が戻ってきたので一両損、拾い主の金太郎は三両手に入るところが二両になったため一両損、そして大岡越前は自ら一両を負担したため一両損、めでたく三方が一両損ということです。この裁定に金太郎も吉五郎も納得した———というものです。
私たちは自分の価値観で相手を見定め裁こうとしがちです。自分が正しいと思えばこそ、相手のほうを変えてやろうとしてしまいます。しかし、相手の感情をくみ取って、これを最大限に尊重すること、そのために自らの懐から一両取り出すこともまた、時には必要ではないでしょうか。
「ねんちる」第203段
コンビニの駐車場で「社長」と声をかけられた。この呼び方をしてくる子はスクールの最初期の子だけだ。振り返ると小さな子どもを抱っこしたお姉さん。「Tです、覚えていますか」もちろんだよ。
Tちゃんはnendの最初の生徒だ。当時できたばかりの塾は壁紙もなくむき出しの板張りで、エアコンもなくてがらんとした寒い教室に知り合いから譲り受けたホワイトボードが一枚だけ。こんな何もない塾でごめんねといつも思っていた。Tちゃんは塾に友達もおらず退屈そうに携帯ばかりいじっていて、いつ塾を辞めてもいいといった雰囲気だった。でも実際には勉強熱心でとても人懐っこく、笑うとかわいくて、何よりうちの塾を好きでいてくれた。僕も当時のスタッフもTちゃんをとても大事にしていて大学入試まで世話をさせてもらった。
いつのまにかお母さんになってたTちゃん。幸せにね。
- PREV
- 1995