進学塾nend

1995

   

 これは僕が以前、新橋にある大手電機メーカーの代理店で働いていたときのことだ。
 社会人1年生だった僕は、電機製品の棚卸管理を任されていた。住宅メーカーからFAXで照明や換気扇の発注が送られてくると、倉庫会社に出荷するようFAXで指示を送る。1分程度で終わる仕事だ。他にすることは何もない。毎日ひまを持て余し、会社の窓から東京タワーを眺めては経理の女の子に入れてもらったコーヒーを飲んでいるだけだった。
 そんな僕にある日、新しい仕事が与えらえた。朝霞にある取引先メーカーの社員寮の敷地内にそこに住む家族のための公民館のような施設があって、そこでクリスマス会をすることになったのだ。公民館にはプロジェクターや音響設備を備えた大会議室があり、クリスマス当日にそこで映画を上映したいのだけれど、誰もそのやり方が分からないという。そのため、備え付けの機器を確認して誰が読んでもわかるようなマニュアルを作成してほしいというのだ。
 現地に下見に行くと、施設を管理する車谷さんという五〇がらみの男性がむすっとした様子で迎えてくれた。会社の先輩からは「怖い人だから、注意して」と聞かされていた。彼はしわがれた大きな声で、わたしは管理を任されているが、ハイテクの機器の使い方は分からない、普段からやることがたくさんあり、そのうえクリスマス会を取り仕切るなど、無理難題を押しつけられても困る、などと文句を言いながら、館内を案内してくれた。合いの手に追従を入れたが、あまり効果はないようだった。不機嫌な車谷さんを横にしながら、僕はプロジェクターやアンプ、スピーカーの仕様を確認し、実際に触ってみて問題なく使えそうだということを車谷さんに伝えた。
 会社に戻ってwin3.1の入ったデスクトップPCで取り扱い説明書——「①まず端子A・Bにマイクのコードをさす。②次にアンプの電源スイッチとイコライザーの電源スイッチCを入れる、……」を作成した。僕はこういった作業が得意なのだ。二日後、再び現地におもむき、車谷さんに自作の説明書を渡し、それを読みながら実際に機器を動かしてもらった。車谷さんは不安そうな様子だったが、クリスマス会当日は僕もヘルプに来ると伝えると少し安心したようだった。
 12月24日、会議室は子どもたちでいっぱいだった。かわいらしく飾り付けられた室内には大きなツリーが鎮座していた。窓には雪だるまの形に切り抜かれた画用紙が並べて貼り付けてあり、雪だるまのおなかにはクリスマス会の文字が一文字ずつ書かれている。車谷さんの姿は見えなかったが、すべての機器はちゃんとスタンバイしていて、プロジェクターを映すスクリーンにも光が投影されている。応援にかけつけた社員と思しきスタッフに社名を告げてあいさつをし、各機器を見て回る。問題ない。車谷さんの仕事に感服した。
 マイクを持った司会者の女性が(彼女もおそらく社員の一人であろう)子どもたちにあいさつをする。クリスマス会の始まりだ。スクリーンにディズニーのクリスマスのオープニングアニメが流される。会議室の照明が落とされる。子どもたちは床に膝を抱えて行儀よく座り、首をあげてスクリーンを見つめていた。
 短い映画が終わると、会議室の後方のドアからサンタクロースが現れた。
 「ホッホッホー」
 いつもの気難しい、しかめ面はどこへやら、満面の笑みを浮かべた車谷さんは子どもたちに取り囲まれながら、プレゼントを配っていた。

 その日の終わり、僕はJR田町のホームに立っていた。会社に戻っておしゃれなバーでささやかなクリスマスパーティを終えたあとだった。ホームには雪が舞っており、風に巻かれ赤茶けた線路を黒々と濡らしている。このぶんだと明日には積もっているだろう。僕はサンタの恰好をした車谷さんと子どもたちのことを考えていた。今日という一日がとても素敵に感じられた。そしてできるなら、僕も子どもたちを笑顔にするような仕事をしたいと思った。

 半年後、僕は会社を辞めて、塾の講師になっていた。

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