Nend Community News 2021-11月号 電子版
「今月の言葉」
無条件で愛されているのは、子どもではなく親の方
───anonymous
トピック「子どもに任せる」
体験授業を受けに子どもとお母さまがスクールに来られたとき、子どもに「苦手な教科はあるの」と尋ねると、子どもがお母さまのほうを振り返り、代わりにお母さまが「この子は算数が苦手で。ね、そうでしょ」と答えるということがあります。お母さまのこういった行動がお子さんの自主性や主体性を損なっているかもしれません。
ずっと昔スクールの子どもたちに、外国人の先生と話すという機会を与えたことがありました。外国人の先生が英語で質問をされるたびに子どもたちが私のほうを振り返るので、私が「先生はこう言っているよ」と仲介していたとき、外国人の先生から止めてほしいと注意を受けたことがあります。子どもを手伝ってあげたい、力になってあげたいという気持ちであっても、こういった行動が子どもの成長の妨げになると、私自身言われるまで気づかなかったのです。
自主性とは、ある決められた目標について、自らが当事者となって物事を遂行していくという性質です。子どもたちの中には、授業で説明を受けていても、それが自分の勉強に関することだという当事者意識に欠ける子がいます。「こういうふうに書きましょう」「こういうところに注意をしましょう」と説明しても、それが自分のことだとは思わないため話を聞いておらず、いざ作業をすると何もできずに困ってしまう。自主性が養われていない子とはこういう子のことです。
一方で主体性とは、目標までをも自分で設定し、遂行する性質をいいます。自主性よりもさらに高い性質といってもよいでしょう。お子さんに自主性や主体性を持たせるには、お子さんを過保護にせず、過度に干渉することを慎むべきです。私たち大人は勉強の大切さを知っているがゆえ、子どもの勉強について首をつっこみがちです。時には勉強に対する自分の後悔を取り返すかのごとく、子どもの宿題を一緒に解いてあげたり、説明してあげたりしてしまいます。しかし勉強のことは子どもに任せるべきなのです。
ある小学校の入学式で「あなたのお子さんを、あなたのちっちゃな彼氏にしないでください」という言葉があったそうです。どれほど子どもがかわいくても、お母さまが、男の子をちっちゃな彼氏に、女の子を自分の理想の友だちにしてしまっていれば、子どもが自主性、主体性をもって行動をすることは叶わないかもしれません。
トピック「ねんちる」vol.165
「月刊アフタヌーン」で連載されている『ブルーピリオド』という漫画が今期アニメ化されている。毎日に退屈していた高校生の男の子が東京藝大を目指す物語。とても素敵な作品だ。そういえば以前、スクールで私立の中高一貫校に通っていた子を預かったことがある。
Mちゃんは数学が苦手でスクールに来たのだが、ビリに近い順位から、すぐに学年10位以内になった。もともと素質はあったのだ。Mちゃんは僕をすごく信頼してくれた。
高校二年生になってMちゃんは東京藝大を受験したいと言った。僕は英語の力だけでも伸ばしてあげたくて、一生懸命教えたけど、なかなか力がついてこなかった。僕もMちゃんも二人とも焦って心に余裕がなくなり、すれ違うようにMちゃんはスクールを辞めた。
その後Mちゃんはがんばって武蔵美に合格したらしい。ほろ苦い思い出だ。