進学塾nend

Nend Community News 2019-9月号 電子版

      2019/10/08

「今月の言葉」

頑張るとは、嫌なことを我慢することではない。結果にむけて努力することだ。

─── anonymous

トピック「ダメだと言われる前にあきらめない」

まもなく受験期を迎えますが、以前と比べて子どもたちの様子が大きく変わったと思うのは、そのあきらめの早さです。一昔前であれば「どうしてもこの高校に行きたい」という気持ちが真っ先にあって、ときにはがむしゃらにがんばり、ときにはくじけたりする子どもたちを、叱ったり励ましたりしながら入試まで育てていったものです。どうしても志望校をあきらめたくなくても、その子の勉強の到達具合や、得点力やメンタルの安定さ、志望校の倍率などを総合的に判断して、スクールとしては志望校を下げることを宣告しなければならないときもあります。つらいことですが、それがスクールとしての責務でもあり、指導力と呼ばれる部分でもあります。

ところが、最近ではこちらが志望校を下げるようにいうずっと前、まだこれから伸びるかどうかの見極めすらできていない段階で、志望校をあきらめて下げてしまうお子さんが多くいます。子どもたちにとっては、模擬試験の判定が振るわないことを理由に、叱られたり、勉強をするよう強制されたりするよりは、志望校を下げてしまったほうが簡単ですし、楽になれるという考えがあるのかもしれません。困ったことに、お子さん自身は「総合的に考えて志望校を下げることにした」「本当に行きたかったのはA校ではなくB校だった」というように自分の気持ちにすらウソをついて親に話すため、塾としても志望校にチャレンジするよう無理強いできず、また一旦下げてしまうことに決めると、勉強への意欲が大きく減退してしまい、学力を伸ばして本来の志望校を受けることがかなわなくなります。

以前、あるご家庭との会話で「上の子は受験に失敗してしまったので、下の子にはそんなふうにならないよう注意しています」と話されていて、その言葉に違和感を覚えました。その子は、自分の志望校を目指し、たとえ周りから無理だろうと言われても、一生懸命努力したのだと思います。結果として合格できなかったかもしれませんが、親から「失敗」のレッテルを貼られることはいかがなものでしょう。安易に志望校を下げ、ろくな勉強もせず高校に合格することこそが失敗ではないかと思うのです。

挑戦し成功することは最良ですが、挑戦し失敗することはその次に良いことです。あきらめずがんばることもまた大切ではないでしょうか。

 

 

トピック「ねんちる」vol.139

私の母は、説明するのが難しいのですが、人に指導する仕事(例えば日本舞踊だとか、そういった類の)をしています。以前は年に1回くらいしか実家には帰っていなかったのですが、あるとき(年に1回しか帰らないと、母に会えるのはもうあと20回ほどではないか)ということに気づき、以来2ヶ月に1度くらいのペースで実家に帰り、ついでに母から色々と教えてもらっています。

母は指導するときに決して怒ったりせず、例えば持ち物を忘れても、何もとがめずに代わりの物を渡してあげたり、質問をしたときに相手があきらかに質問それ自体を聞いていなかったときも、優しく繰り返したりします。叱ることなしにでも人を指導できるということは、私にとってとても真似をするべきことです。まだまだ母のようにはなれませんが、優しい指導者になりたいと思います。

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