進学塾nend

Nend Commnuity News 2018-11月号 電子版

   

「今月の言葉」

(今時の若者について聞かれて)「全く、愚かで軽薄で無教養だと思います。私達がかつてそうだったようにね」

─── ルーシー・モンゴメリー(赤毛のアンの作者)

トピック「悪意を探すな」

「私が言葉を使うときは」ハンプティ・ダンプティはかなり軽蔑した調子で言いました。「言葉はわしが意味させようとしたものを意味する──それ以上でもそれ以下でもない」──ルイス・キャロル(『鏡の国のアリス』)

ツイッターの炎上というネット用語がもう一般にも浸透したように思います。ネット上で私たちが何気なく発した言葉が、私たちの意図しないところで曲解され、批判をあびるという現象です。
例えば『テニスの大迫選手の活躍をことさら日本人の躍進として過剰に持ち上げるメディアは異様に映る』というようなツィート(投稿)は、場合によっては誤解を招く恐れもあるでしょう。しかし『今日は家族で外食です』というようなツィートですら、「家族を持たない人へのあてつけか」「外食するのは家事の放棄」「富裕層アピールするな」などとまったく意図しない批判を受けることがあります。
『今日は家族で外食です』には、本来その文字列が持つ意味以上の意味はあるはずがありません。しかし、他人の発言に何の意味を付与するかというのは、結局受け手側次第となっているのです。

「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」というのはカエサルの言葉ですが、私たちは自分の都合のいい意見しか聞こうとしません。半身浴がダイエットにいいと信じる人は、検索ワードに[半身浴 効果]と入れて検索します。逆に半身浴の効果を疑う人は[半身浴 ウソ]と検索します。つまり、私たちははなから自分の意見を補強する考えだけを探し、信じたいものしか信じようとしないのです。

このように私たちは自分の都合の良い意見だけを探し、書いてある文脈に自分の都合の良い解釈をあてはめ、勝手な判断で他者を批判しがちです。
勉強で言えば、先生の「こんなのが解けないのか。これは基本だぞ」という言葉を「うるせーな。嫌味かよ」と受け取るのか「そうか、僕は(私は)基本ができていないのか」と受け取るのかでは後々差がついてきます。他人の意見に悪意を探すのは無意味なことだと気づいてほしいと思います。

「勉強しなさい」「もっとがんばりなさい」「まだできるでしょ」こういった誰かが自分に投げかけてくれる言葉を悪く受け取るのではなく、素直に受け入れることが、勉強だけでなく、人生のさまざまな局面でプラスに働くのではないでしょうか。

トピック「ねんちる」vol.129

先日の休みに、北陸新幹線で富山まで行きました。そこから自転車を組み立て、石川県は加賀までの120キロを走ります。途中、昔の教え子Mちゃんが住んでいる高岡に立ち寄りました。Mちゃんは僕がこの仕事を始めてまだ2年目の教え子で、当時彼女は15歳、僕は23歳でしたからわずか8歳しか違いません。今では彼女も四女の母です。
当時僕は先生としてはひよっこで、生徒を叱ることもできませんでした。見かねた上司から「生徒に危機感が生まれないから、もっと厳しくしろ」と命令され、闇雲に怒ってばかりいました。結果、生徒から総スカンを食らったわけですが、そんな中、Mちゃんはいつも不思議にニコニコと僕の授業を受けていてくれました。
高岡で子どもをあやすMちゃんとコーヒーを飲みながら、懐かしい思い出に浸りました。

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