進学塾nend

Summer School

   

僕が今よりもずっと若かったころ、バリバリの営業力を持っている友人が、営業というものについて語ってくれたことがある。

「今、目の前にあるこのクリップを、通りを歩いているおばあさんに5000円で売ってこられる?」
僕は出来ない、と答えた。
「どうして?おばあさんが喜んで、『ありがとうねぇ、このクリップを手に入れられて、わたしは幸せだよ』って思ってもらえればいいわけじゃん。おばあさん幸せだし、自分も得をするし。誰も損しないよ?」
でも、それはある意味詐欺だと思う。
「確かにクリップの原価は10円もしないよ。それじゃあアイフォン(もちろん当時そんなものはなかったが、それに準じたもの)ってさ、あれ100,000円近くするでしょ?あれの原価が5,000円くらいだって聞いたら、『詐欺だ!金返せ!』ってなる?」
ならない。
「だよね。買った側が満足して、その商品に価値を見出してくれればいいんだよ」

この話は常に僕に考えさせる。友人は、世の中の仕事の90%以上が「営業」だと語った。クリップを5,000円で売る仕事。
でも、僕はたとえおばあさんがそれを求めていたとしても、クリップを5,000円で売るような真似はしたくない。そこには、自分が納得してそれをできるかどうか、自分の自尊心や生き方が関わっているように思えるのだ。
結局、僕は結論を下した。これが営業というなら、僕に営業は向いていない。

今年、6年ぶりに中学1・2年生の夏の講習を行うことにした。
以前、僕が勤めていた大手塾では、半ば強制的に夏期講習を取らせていた。中学3年生ならいざ知らず、中学1・2年生はまだ講習に必要性を感じない子もいて、勉強にモチベーションがあがらない。それをおしなべて画一的な講習をするのはどうなんだろう。もっとやる価値のある、やる意義のある講習を行いたい。
もちろん教えるこちら側として、惰性でいい加減な授業をしているつもりはないけれど、なんか、もっとずっとよい講習にしたい。そう思っていたのだ。
うちのスクールでは、だからかたちばかりの講習はやめようと思った。もちろん、講習に需要があるのはわかっている。親は夏期講習を受けさせると安心だし、子どもだってそれなりの達成感は得られる。でも、やってよかったと心から思えるものを提供できていないのであれば、それは違うように感じるのだ。クリップを5,000円で売るのとは違う。自分が納得できるかどうかだ。だから中1・2は夏期講習を行っていなかった。すべての力を中3に注力してきた。

今年、中1・2の夏期講習をやることにしたのは、1つには保護者からの依頼もあったからだが、もう1つには去年、3年生の夏の講習を思いきって改革して、それが学力の向上や進学実績といった結果として出てきたので、それを1・2年生に波及させたいと考えたからだ。

今年は力を出し切ろうと思う。

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